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Home >  在宅診療の教科書 >  死を避けずに、「どう生を全うするか」を考える

死を避けずに、「どう生を全うするか」を考える


「死」は、日本ではどこか重く、できれば触れたくないものとして扱われがちです。
一方で、宗教が生活の中に根付いている国々では、“役割を全うした先の新しい出発”として、死を受け止める文化があります。
イスラム教圏やキリスト教圏では、最期まで家族と共に過ごすこと自体が「尊い行為」と位置付けられることも少なくありません。

宗教がある社会では、最期にも「意味」が残る

海外での個人的な経験を通じて感じるのは、「信じるものがある」ことの強さです。
たとえば、祈りや寄付といった行為が“徳”として積み重なり、死後の世界に繋がっていく_そうした考え方が、本人や家族の中に自然とある社会では、最期の時間にも“意味”が残ります。

「自分の役割を全うしたら、次の世界でも新しい役割が与えられる」
そんな軸があると、死は“悪い出来事”というより、「人生を終える節目」として静かに受け止められていく。もちろん、悲しみが消えるわけではありません。それでも、支えとなる価値観があることで、最期の時間に過度な不安や混乱が生まれにくいのだと思います。

日本では「死を医療に任せる時代」が長く続いた

一方、日本は戦後の医療体制の中で、「死は病院で迎えるもの」という前提が強くなりました。
何世代にもわたって“最期を医療に任せる”ことが当たり前になり、家庭や地域の中で死を身近に経験する機会は減っていきました。

その結果として、死への理解や準備の文化が、少しずつ途切れてしまった面があります。
「この段階で決めていいのか」「何を選べば正解なのか」_そうした迷いが生じやすいのも、死に向き合う“言葉”や“手がかり”が、社会の中で共有されにくくなっているからかもしれません。

大切なのは、「死」ではなく「どう生を全うするか」

私たちが本当に考えたいのは、「死をどう扱うか」だけではありません。
それよりも、「どのように生を全うするか」を、本人と家族が一緒に考えられることが大切だと思っています。

宗教に限らず、心の中に“信じる軸”や“支え”がある人ほど、最期を穏やかに受け止められることがあります。
それは、特別な思想が必要という意味ではなく_

  • 自分にとって大切にしたいこと
  • 家族に伝えておきたいこと
  • 最期を迎える場所や過ごし方の希望
  • 「やめたい医療」「続けたい医療」の方向性

こうした“自分の指針”を、少しずつ言葉にしていくことが、最期の安心に繋がるのだと思います。

在宅医療ができることは、「選択肢」を増やすこと

在宅医療は、「病院の代わりに家で診る医療」ではありません。
本人と家族が、自分たちらしい時間を保ちながら過ごすために、選択肢を増やす医療です。

「最期はどうするか」を急いで決める必要はありません。
でも、「困ったときに相談できる先がある」こと、そして「話していいテーマなんだ」と感じられることは、きっと大きな支えになります。

死を避けるのではなく、人生の終盤をどう生きるか。
その問いに、医療も一緒に寄り添える存在でありたいと私たちは考えています。